イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」             マタイ22章37~40節

 
イエス様が、最も重要な掟についてお教えになった箇所です。

偽善の罪
 ファリサイ人、律法学者の罪、それは、偽善の罪でした。律法学者、ファリサイ人、彼らは、イエス様の答え如何によって、自分が変わろうとする用意がありませんでした。彼らの質問、それは、ただ、イエス様の言葉じりをとらえようとするためだけの質問でした。考えてみれば、わたしたちも、同じようなことをしてしまっていることがあるのではないでしょうか。

試すための質問
ところで、「律法の中で、どの掟が最も重要なのですか」という質問がどうして、イエス様を試す質問になるのでしょうか。イエス様の時代、神の律法に加えて、さまざまな細則が付け加えられていました。そして、多くの細則が生まれれば生まれるほど、さまざまな学派が生まれて行きました。「Aが最も重要である」と言えば、「Bこそが最も重要」と主張する学派の顔をつぶすことになる。「Bが最も重要である」と言えば、「Cこそ最も重要である」と主張する学派の顔をつぶすことになる。そういう意味で、この質問は、イエス様を試す質問であったということです。

深い意味
とともに、さらに深いところにおいて、この質問は、イエス様を試す質問でした。この質問は、荒れ野の試みの二番目の試みに対応する試みでした。「律法の中で、どの掟が最も重要なのですか」という質問に対して、イエス様は、みことばを自分の都合のよいように捻じ曲げることなく、まっすぐにその急所をお答えになりました。それは、イエス様にとって、大きな試みを意味していました。それは、イエス様にとって、「神を愛すること」、そして、「自分を愛するように隣人を愛すること」ができない状態にある人間を、できる状態にするということを意味していました。すなわち、十字架で死ぬということを裏打ちして、イエス様がお答えになったお答え、それが、イエス様のお答えでした。

(前川隆一牧師)

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