慈しみとまことは出会い 正義と平和は口づけし まことは地から萌えいで 正義は天から注がれます。               詩編85編11~12節
福音書は、「洗礼者ヨハネ、殺される」そう表題のつけられているところです。

世の権力者のしたたかさ
この箇所、第一に、世の権力者のしたたかさということが描かれている物語、そう読むことができます。人を殺しても罪に問われない。それが、世の権力者です。

人間ヘロデ
けれども、この物語、よく読み、味わって行くとき、もう一つ、深いところにあるメッセージを聴き取って行くことができます。まず、このヘロデという人物ですが、ガリラヤとぺレア周辺を治めることを許されたローマの傀儡の王でしかありませんでした。また、このヘロデという人物は、根っからの悪人ということではありませんでした。20節を見ると、「彼を恐れ、保護し、また、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、なお喜んで耳を傾けていた」そう記されています。ヘロデは、聖書の教えに喜んで耳を傾ける良心を持ち合わせていました。だからこそ、彼は、心に非常な葛藤を抱えながら歩んでいたのでした。

神のことばのしたたかさ
さらに深く、この物語を読んで行くときに、もう一つのメッセージを聴き取って行くことができます。それは、世の権力者のしたたかさをこえて生き続ける神の声、神のことばのしたたかさということです。キリストは、世の権力者の罪、民衆の罪、弟子たちの罪、そして、わたしたちの罪を負って、十字架で死んで下さいました。そして、復活して下さいました。わたしたちは、ともすると、自分の正義を押し通そうとして、人の声、人のことばを抹殺してしまおうとします。逆に、平和のために、自分の声、自分のことばを殺してしまおうとします。けれども、その思いを、その声を、そのことばを、キリストのぶつけて行くときに、キリストは、わたしたちに新しいことばを与えて下さるのです(詩編85:11~12)。十字架で死に、復活されたキリストのことばに生かされて生きるようにと、わたしたち召されているのです。

                 (前川隆一牧師)

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