先祖と同じように背き、裏切り 欺く弓で射た矢のようにそれて行き
詩編78編の57節

 
パンの奇跡を体験した人々がカファルナウムまでやって来た。その人々にイエス様が応答された。それが、今日の福音書の箇所です。

「なんのために働くのか」ということと「しるし」ということ
26~27節を見ると、イエス様が「働きなさい」ということをおっしゃっています。とともに、「しるし」ということをおっしゃっています。「なんのために働くのか」、それは、6月13日に学んだことでした。わたしたちは、自分で得たパンを食べるために、落ち着いた生活をするために、働く必要がある。とともに、その働きを通して、よきわざをする、隣人を愛する、世の中の役に立つことをするように召されている、ということでした。また、「しるし」ということ、それは、7月18日に学んだことでした。「しるし」それは、イエス様が羊飼いのいない羊のようなわたしたちのために、真の羊飼いとしてお出で下さったというしるしということでした。「なんのために働くのか」ということ、そして、「しるし」ということ、この二つが、どんな風に結びついているのでしょうか。

欺く弓
その鍵になる、それが、詩編78編の57節です。「先祖と同じように背き、裏切り 欺く弓で射た矢のようにそれて行き」そう記されています。「欺く弓で射た矢のようにそれて行き」と記されていますが、口語訳聖書では、「狂った弓のようにねじれた。」そう訳されています。「欺く弓」「狂った弓」ということ、すなわち、原罪ということです。わたしたち人間は、罪を犯したから罪人なのではなく、罪人だから罪を犯してしまうのです。もともとの人間は、神を崇め、神が創造された被造物、自然を治め、開発することを喜びとしていました。けれども、罪が入って以来、人間にとって労働は、呪いとなってしまったのでした。そのわたしたちのために、イエス様は、羊飼いとして来て下さったのです。そのわたしたちのために、十字架で命を捨てるために、イエス様は、羊飼いとして来て下さったのです。

(前川隆一牧師)

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