だから、もし子があなたがたを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。
ヨハネ8章36節
宗教改革を覚える主日、今日与えられている福音書、そして、詩編を、ルターの宗教改革と絡めながら、味わって行きたいと思います。
神の義
マタイによる福音書11章の12節で、「天の国は力ずくで襲われている」そう訳されている部分、それは、「天の国は激しく入り込んでいる」とも訳すことができることばが使われています。このことは、ルターが経験したことでもありました。ルターの戦い、それは、「神の義」ということでした。どこまで行っても神の義に到達することができない。いや、ますます、神の義が要求する水準から遠ざかり、神の怒りは、増しているように思える。そんなルターに、やがて、転機が訪れます。それは、「神の義」それは、神が要求しておられる義ではなく、贈り物として差し出しておられる義であるという真理でした。イエス・キリストというお方を通して、神の国は、この世に、また、わたしの内に、激しく入り込んでいるということを、ルターは経験したのでした。
川がある
今日読まれた詩編46編は、ルターが作詞した讃美歌21の377番のもとになった詩編です。その46編の中に不思議な一節があります。それは、5節です。エルサレムという町は、山の上にある要塞都市であって、川はありません。どうして、「川」「大河」ということが言われているのでしょうか。実は、エルサレムに、確かに川があったのです。それは、ヒゼキアが、エルサレムの町を守るために籠城用に造った地下水道でした。ルターも、見えるところは、いつ終わるとも知れない戦いの日々を送っていました。しかし、ヒゼキアが、隠れたところにある水路につながって勝利を得たように、「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」そうおっしゃるイエス・キリストから、いのちの水をくみ上げ、潤されて、闘いの日々を送って行ったのでした。
(前川隆一牧師)