むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。                          エフェソ4章15節
 
今日の招詞は、生まれ出たヨハネがやがてどのような歩みをすることになるかをザカリアが預言した預言のことば、そして、福音書の箇所は、そのヨハネの登場の場面です。

愛に根ざして真理を語る
わたしたちは、ヨハネに対して、何か荒々しい風体をし、荒野で、荒々しく悔い改めを宣べ伝えていた人物。そんなイメージをもっているのではないでしょうか。洗礼者ヨハネまでが律法で、イエス様が来られて福音が始まった。なんとなく、そんなイメージをつくり上げているのではないでしょうか。けれども、そうではないのです。今日の箇所の少し後のところですが、18節、「ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして」と言われています。この「勧めをして」ということばですが、「慰めて」とも訳せることばが使われています。そして、その後、「民衆に福音を宣べ伝えた。」そう言われているといます。洗礼者ヨハネまでが律法で、イエス様が来られて福音が始まった。そうではないのです。ヨハネも福音を宣べ伝えたのです。ヨハネは、ただただ荒々しい風体をし、荒野で、荒々しく悔い改めを宣べ伝えていた。そんな人ではなかったのです。エフェソ4章15節に「愛に根ざして真理を語りなさい」ということが教えられていますが、ヨハネは、まさに、愛に根ざして真理を語る。そんな人であったということです。

自ら悔い改めつつ、悔い改めを語る
もう一つのこと。ヨハネのお父さん、ザカリアは、「不信仰が沈黙せしめた人を聖霊が預言者へと変える。」そんな経験をした人でした。実は、ヨハネもまた、不信仰を経験して行ったのでした。ヘロデに捕らえられ、獄中の人となったとき、ヨハネは、人を送って、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」と尋ねさせたということが聖書に記されています。ルカによる福音書7章19節です。ヨハネもまた、不信仰ということを経験する人でした。ヨハネは、上から下に悔い改めを説く人ではありませんでした。そうではなく、自ら不信仰を悔い改めながら、悔い改めを説いて行く人であった、ということです。

(前川隆一牧師)