父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになります。あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。                           ヨハネ17章21節
 
「イエスの祈り」の最後の部分です。

悔い改め
 この部分で、繰り返されている、それは、「一つにしてください」とのイエス様の祈りです。では、何をもって、弟子たちは一つになることができたのでしょうか。それは、第一に、悔い改めということでした。だれがいちばん偉いかと、競い合い、論じ合っていた間、弟子たちは、決して一つになることはできませんでした。その弟子たちが、キリストが十字架について死んで下さらなければならなかったほどの罪人であると認めて、へりくだった。そして、祈る者とされた。そのとき、一つとされることができたのでした。

聖霊
第二に、へりくだる者に、神は、聖霊を与えて下さいます。聖霊によって、弟子たちは、一つになることができました。聖霊に満たされて語ることば、また、行う行いの特徴、それは、自発的であるということです。創造的であるということです。また、喜びを伴い、楽しみですらあるということです。へりくだる者に、神は、聖霊を与えて下さいます。そして、聖霊によって、わたしたちは、一つとされる経験をすることができるのです。

時間を超え、空間を越えて
第三に、キリストにあって、一つとされると言うとき、それは、時間を越えている。空間を越えている。わたしたちは、時間を超え、空間を越えて、一つとされることができる。このことを覚えたいと思います。わたしたちは、キリストにあって、時間を超え、また、空間を超え、そして、死を超えてさえ、一つとされているのです。

わたしたち、いよいよ、キリストが十字架について死んで下さらなければならなかったほどの罪人であると認めて、へりくだって、祈る者、祈り合う者としていただきたいと願います。また、へりくだったものに与えられる聖霊による交わり、一致にあふれた教会へと主に導いていただきたいと願います。来週は、聖霊が降り、キリストの教会が誕生した聖霊降臨をお祝いする聖霊降臨祭を迎えます。いよいよ、そのような教会へと主に導いていただきたい。そう願います。

(前川隆一牧師)