しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。        ルカ10章20節
七十二人の弟子たちが、宣教に派遣される場面と、彼らが帰って来たときのイエス様とのやりとりの場面です。

遣わされた者
第一に、「その後、主はほかに七十二人を任命し、ご自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた」と言われているように、わたしたちもまた、遣わされた者、主によって派遣されている者です。わたしたちのまわりには、外見的に、いろいろな弱さを抱えていると見える人だけではなく、さまざまなかたちで、求めをもっている人々が備えられています。また、その求めが、いつ、どんなかたちで、現れるのか、分からないのです。わたしたちは、その人々のために、旗印を明確にする必要があります。よい人間関係を築いて行く必要があります。信頼される必要があるのです。

与えられている力
第二に、主によって派遣されているわたしたちに与えられている力ということを覚えたいと思います。弟子たちは、「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します」と報告しました。イエス様の御名によって、悪霊さえ屈服させることができるということを経験したのです。その同じ力をわたしたちも経験することができるのです。

土台
第三に、主によって派遣されているわたしたちクリスチャンの土台ということについて、確認したいと思います。イエス様は、ルカ10章20節で、「しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」とおしゃいました。わたしの名が天に書き記されている。天に国籍をもつ者とされている。それが、わたしたちクリスチャンの土台であるのです。頑張るということ、目標に向かって懸命に努力するということ、それ自体は、尊いことです。けれども、そのことが目的となるとき、祝福が呪いに代わってしまうのです。キリストの十字架によって、成し遂げられた救いを受け取り、その感謝の応答として、精いっぱい奉仕し、あかしして行く、それが、信仰生活なのです。

(前川隆一牧師)