しかし、神はわたしの魂を贖い 陰府の手から取り上げてくださる。 詩編49編16節
 
詩編49編は、今日の福音書の注解とも言えるような詩編です。

第一の悟り
詩編49編は、わたしたちにとって必要な三つの悟りということを教えてくれています。その第一、それは、この世の生、それがすべてではないという悟りです(14~15)。イエス様がお話になった金持ち、彼は、自分の人生がいつまでも続くと思った。この世の生が終わった後の次に来る生、そのことについて、彼は全く念頭になかった。そこに、この金持ちの愚かさがありました。

第二の悟り
第二に、わたしたちは、自分の人生を、自分で贖うことはできないという悟りをもつ必要があります(7~8)。この金持ちは、「これから先何年も生きて行くだけの蓄えができた」ということに満足しました。けれども、それは、この地上の生において役立つものであって、聖なる神の前に立ったとき、何の役にも立たないということを彼はわきまえていませんでした。お金によって、わたしたちは、自分を贖うことはできないのです。わたしたちは、お金でも、善行でも、宗教でも、自分を贖うことはできないのです。それが、わたしたちが持つべき第二の悟りです。

第三の悟り
そして、第三のこと、それは、神様だけがわたしたちの魂を陰府から贖い出してくださるという悟りです。詩編49編16節、「しかし、神はわたしの魂を贖い 陰府の手から取り上げてくださる。」そう言われています。お金でも、善行でも、宗教でも、自分の魂を贖うことができないわたしたち、そのわたしたちのために、神の子イエス・キリストの命という代価を払って、わたしたちを贖い出して下さった。それが、あの十字架のできごとでした。金持ちのように、ものを誇りとするのでなく、ファリサイ人のように、自分の宗教的な生活を誇りとするのでもなく、わたしのために神がなして下さったこと、キリストがなして下さったことを誇りとして生きる。そこに、ほんとうの平安をもって生きる人生が始まって行くのです。

(前川隆一牧師)

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