あなたがたも同じことだ、自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。
                            ルカ17章10節
「赦し、信仰、奉仕」と表題のつけられている箇所です。

してもらいたいことを
今日は、特に、最後の7~10節の部分に注目し、わたしたちの奉仕の姿勢ということを学ばせていただきたいと思います。まず第一に、この箇所、一つの逆転が起こっています。最初、僕をもつ主人の立場でイエス様のお話を聞いていた弟子たち、でも、最後のところで、僕の立場に立たされて、「あなたがたもそのようにしなさい。」そうイエス様に命じられたということです。わたしたちは、「あの人がこうしてくれたら」とか、「この人が、こういう態度を取ってくれたら」とか、思います。そのわたしたちに、「あなたがそのように隣人にしてあげなさい。」それが、イエス様の教えであり、聖書の教えであるということです(マタイ7章12節)。

正しいプライド
第一に、この僕は、主人の願うことを行いました。とともに、この僕は、「わたしどもは取るに足りない僕です」と言いました。この僕は、ある意味、正しいプライドを身に着けていました。わたしたちは、どのようにして、正しいプライドをもって奉仕することができるでしょうか。それは、信仰によってです。今日の箇所全体を貫く鍵、それは、「信仰」ということです。「信仰」によって、ゆるすことができるのです。「信仰」によって、正しいプライドをもって歩むことができるのです。わたしたちは、キリストの命によって買い取られた存在なのです。キリストを信じる信仰によって、わたしたちは、正しいプライドをもって奉仕することができるのです。

みことばに生きる
では、わたしたちは具体的に、どのようにして、そのような正しいプライドを身に着けることができるのでしょうか。主が、僕の姿をとり、仕える者、しかも、十字架の死に至るまで仕える者として歩んで下さったということを知り、信じているというだけではなく、その主のことばに従って歩む、行動する、一歩踏み出す。そのことを通して、わたしたちは、正しいプライドを身に着けることができるのです。

(前川隆一牧師)

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