そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。
ルカ17章16節
「重い皮膚病を患っている十人の人をいやす」と表題のつけられている箇所です。
感謝
このサマリア人の姿、それは、わたしたちがキリストを信じている者の一つの模範です。それは、第一、それは、感謝ということです。彼は、ただ一人、感謝するために帰って来たのです。感謝ということを聖書は繰り返し進めています。今日読まれた詩編111編1節でも、「ハレルヤ。わたしは心を尽くして主に感謝をささげる 正しい人々の集いの中で。」そううたわれています。また、パウロも、「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」と勧めていました(Ⅰテサロニケ5章18節)。
イエス様に感謝
第二のこと、それは、感謝は感謝でも、彼は、まず、イエス様のもとに帰って来て感謝したということです。善意に考えるなら、ほかの病人たちも、まず、祭司に体を見せ、きよめられたと認定されて後にイエス様のもとへお礼に行こうと思ったのかもしれません。けれども、このサマリア人は、一人、真っ先にイエス様のもとへ帰り、感謝したのでした。嬉しいことがあったら感謝し、そうでないときには、不平不満で日々を送るということであれば、わたしたちは、できごとに左右された歩みになってしまいます。できごとではなく、キリストの十字架に表された神の愛にいつも焦点を合わせて感謝する。それがわたしたちの信仰です。
感謝の応答として献身
第三のこと、キリストの十字架に対する感謝、そこから、召しということ、召命ということ、献身の歩みということが生まれて来るということです。キリストの十字架に対する感謝の応答として、職場にあって、家庭にあって、学び舎にあって、召された者として歩む。それが、クリスチャン、キリスト者の歩みです。わたしたちが召されたところで、仕える者として生きる、それは、わたしたちに仕え尽して下さったお方に対する感謝から、そのように歩むのです。
(前川隆一牧師)