「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」 ヨブ記2章10節
「神を呪って死ぬ方がましでしょう」という妻に対して、ヨブが言ったことばです。
神を畏れる知恵
ヨブは、すばらしい信仰の人でした(1章1節、8節)。また、ヨブは、環境的にも、経済的にも、健康的にも恵まれた、豊かな生活をしていた人でした(2~3)。その豊かさを奪われることを通して、信仰が試された。それが、ヨブが経験したことでした。ヨブは、次々に襲い来る災いにより、財産を失い、子どもたちを失ってしまいます。その上、全身酷い皮膚病にかかり、健康さえ失ってしまいます。さすがの妻も、「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って死ぬ方がましでしょう」と言います。それに対して、ヨブが言ったのが、「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」ということばでした(2章10節)。またヨブは、財産と子どもたちを失ったとき、こうも言っています。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこへ帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」(ヨブ記1章21節)。ヨブは、神をおそれ、神の前にけんそんに歩んだ人でした。箴言1章7節にこうあります。「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る。」わたしたちは、人間的な知恵によって、人生を切り抜けようとします。けれども、ヨブが経験したような試練の中で、人間的な知恵は何の役にも立ちません。わたしたちの根底を支え、わたしたちの存在を支えてくれる知恵、それが、神を畏れる知恵ということです。
受けとめていただいて
わたしたちも、ヨブのように主を畏れる知恵に歩むようにと招かれています。では、わたしたちが主を畏れ、けんそんに歩むというとき、それは、絶対服従、有無をも言わさず導かれる神様の導きに服従して歩むということなのでしょうか。そうではありません。わたしたちの信じる神様は、人格をもって応答して下さるお方です。呼べば応えて下さるお方です。そのお方に、わたしたちは、思いのたけをぶつけることができるのです。そして、受けとめていただいて、わたしたちは、主のみこころに歩むことができるのです。
(前川隆一牧師)