マルコによる福音書 930 ~ 37

「誰がいちばん偉いか」という議論をしていた十二弟子に対して、イエス様は「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕えるものになりなさい。」(35節)と言われたのでした。

誰がいちばん偉いか
私達人間の現実はまるで上向きの三角形のような構造をしています。他人を見下し傲慢になり、他人を見上げて卑屈になる。また他人より少しでも上へ上へという競争の中に置かれています。「誰がいちばん偉いか」それは自分を他人と比べずにはいられない人間の心に潜む罪の実だと言えるでしょう。

自ら低くなられたイエス様
イエス様は弟子達に対して35節の言葉を言われましたが、これはイエス様自身のお姿を表している言葉です。イエス様は弟子達に言葉で教えられるだけでなく、実際に自ら低くなられました。この後、最後の晩餐で、師であるイエス様が弟子達の足を洗われ(普通は低い身分の僕が高い身分の主人の足を洗います)、さらに人々が侮辱をもって見下す十字架の死に至るまで低くなられたのです。最も高い場所におられるべき神の子イエス様が最も低くなられ、すべての人に仕えるのです。それは下向きの三角形のような構造であり、これが神の国の人間関係のあり方なのです。

イエス様がしてくださったこと
イエス様に足を洗ってもらったペトロは何を感じたでしょうか。イエス様がしてくださったことによって、ペトロは35節のイエス様の言葉を理解したことでしょう。自分が低くなることではなく、イエス様が低くなられることによって、罪ゆえに自分では低くなれない人間が神の前にも人の前にも低くされるのです。イエス様がしてくださったことに信仰をもって目を向けるときに、キリストの復活の新しいいのちへと変えられていくのです。

(小宮山愛爾師)