「神がイエス・キリストによってーこの方こそ、すべての人の主ですー平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉をあなたがたはご存じでしょう。」 使徒言行録10章36~37節
ペトロがコルネリウスをはじめとする異邦人に向かって説教をした場面です。
福音の広さ
今日の箇所は、驚きということに満ちています。ペトロは、異邦人にも福音が伝えられ、救われたということを耳で聞いてはいましたが、実際、福音の説教を聴きたいと願い求めている異邦人の人々を目の当たりにして、新鮮な驚きを感じました(34)。第一に、ペトロは、神様が人をかたより見られないということ、福音の広がりということに驚きました。
福音の内容
第二に、ペトロの説教を聴いたコルネリオはじめ、異邦人たちは、その福音の内容に驚きました。イエス・キリストというお方に関して、圧倒的に話題とされることがら、それは、十字架の死ということでした。ペトロの説教もそうでした。とともに、ペトロが語ったこと、それは、そのイエス・キリストが主であるということでした(36)。十字架で死なれた方がわたしの主であるとは、なんと信じられないメッセージでしょうか。けれども、わたしたちが罪赦されて神の子とされるためには、そのことが必要であったのです。
福音の力
第三に、もう一度ペトロに戻って、ペトロが驚いた、それは、福音の力ということでした。ペトロは、その説教の中で、洗礼者のヨハネのことから説き起こしています。洗礼者ヨハネが語ったこと、それは、悔い改めということでした。ペトロの歩みは、失敗だらけ、傷だらけでした。ただ、神様の恵みに立ち返り、悔い改めて歩んで来た歩みでした。けれども、そんな自分が異邦人の救いに用いられた。そのとき、ペトロは、福音の力の大きさに驚いたのでした。
わたしたちも、絶えず悔い改めて、キリストを主とする。そのことを通して、わたし自身の信仰に引き上げられるとともに、他の人の心の内に信仰を引き起こして行く、そのような信仰の歩みへといよいよ導かれましょう。
(前川隆一牧師)