こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているわたしパウロは・・・。 エフェソ3章1節
今日の使徒書の中で、繰り返されているのは、秘められた計画ということばです。
奥義
人間は、神様の律法を守ることによって救われることはできません。そのわたしたちのために、律法の下に生まれ、律法を全うした上で、身代わりにわたしたちが受けるべき罪の裁きを身に引き受けて死んで下さった、それがイエス・キリストの十字架のできごとでした。キリストを信じるだけで救われる、それは、律法を守り抜いて来たユダヤ人たちにとって、心情的にあってはならないことでした。でも、それこそが、唯一の救いの道でした。そういう意味で、それは、「秘められた計画」「奥義」でした。
奥義を知る
第二に、パウロは、その「秘められた計画」「奥義」を知る者とされました。どうして、パウロは、この「奥義」を知る者とされたのか。それは、神の啓示によって、神様の方から語りかけ、開いて見せていただくことを通して、パウロはこの「奥義」を知ることができたのでした。そして、パウロは、この神の「奥義」を知るとともに、自分自身に対する神様のご計画をも知る者とされて行きました。同じように、わたしたちも、神様の前にへりくだり、自分自身に対して神様が持っておられるご計画を知る者となるようにと招かれているのです。
奥義に仕える
第三に、パウロは、この「奥義」に仕える者とされました(1)。パウロにとって、異邦人のための使徒となるということは、人間的には決して喜ばしいことではありませんでした。それは、命の危険にさらされる歩みであり、同胞のユダヤ人からは誤解を受けて、迫害される歩みでした。そして、現に、パウロは、ユダヤ人たちの迫害によって、投獄され、獄中にいるのでした。けれども、パウロは、その獄中にあって喜んでいるのでした(フィリピの信徒への手紙4章4~7節)。わたしたちも、自分に与えられた神様からの使命を知り、それに生きるようにと招かれているのです。
(前川隆一牧師)