神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。  ヨハネによる福音書3章16節
 

人生の航路
今日読まれた詩編107編23~30節において、わたしたちの人生が航海にたとえられています。わたしたちは、思いもかけない嵐に遭遇することがあります。そんな人生の逆境の中にあって、それを、自分の成長、成熟のためにこのことが与えられている。そのように受け取って行くために、わたしたちの人生を導いておられるお方がおられる。愛の意図をもって導いておられるお方がおられるという認識、信頼、信仰をもつことが必要です。

ヨハネ3章16節
そして、そのようなわたしたちの信じるわたしたちを超えた存在、わたしたちを超えたお方、そのお方は、確かに愛のお方であるということを示している象徴的な聖書のみことば、シンボルのようなみことば、それが、ヨハネによる福音書3章16節のみことばです。「滅びないで」ということが言われています。わたしたち人間は、本来、わたしたちを造って下さった神との交わりの中で生きるようにと造られました。けれども、その本来のあり方から迷い出ている。失われている。それが、滅びということです。神様が、本来あるべきところから迷い出ている存在を何とかして、見つけよう、連れ戻そうと願っておられる、それが、神の愛であり、キリストの十字架のできごとであるということです。

95箇条の冒頭
わたしたちは、ヨハネ3章16節のメッセージを受け入れ、キリストを信じ、洗礼を受けて、神の子、クリスチャンとされたお互いです。では、もう、わたしたちはこのヨハネ3章16節を卒業したのかと言うと、それはそうではありません。ルターは、あの95箇条の提題の冒頭で、クリスチャンの生涯、それは、悔い改めの生涯であるという意味のことを言いました。ヨハネ3章16節のみことばを心に刻み、そのことを通して、神の愛に立ち返り、天の都へとたどり着くまで、人生の航路を行く。それが、信仰の生涯なのです。

(前川隆一牧師)