イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、 ルカ10章26節
善きサマリア人のたとえです。
律法には何と書いてあるか
今日の全体を通して、イエス様は、何をわたしたちに語ろうとしておられるのでしょうか。イエス様と律法の専門家との問答の中心、それは、26節でした。「あなたは、律法をどう読んでいるか。」あるいは、「あなたは、聖書をどう読んでいるか。」それが、このイエス様と律法の専門家との問答の中心でした。
幼子のこころ
では、第二に、具体的にイエス様は、聖書をどのように読むことをわたしたちに求めておられるのでしょうか。それは、幼子のこころをもって読むということです(21)。たとえ話の中に出て来るサマリア人、彼は、まさに幼子のこころをもった人でした。それに対して、祭司は、レビ人は、大人としてのこころをもった人々でした。聖書を模範の書として読むとき、そのように生きることができない自分を見出すのです。そして、「自分を正当化する」ということが起こるのです。では、わたしたちは、どうすればよいのでしょうか。
キリストを通して
第三に、わたしたちは、イエス・キリストを通して、聖書を読むようにと招かれています。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、神を愛するということ。また、隣人を自分自身のように愛するということ」、それを、まじめに、真剣に、また、完全に守り行おうとしたら、それをすることができない。それが、わたしたち人間の現実なのです。そのわたしたちのために、十字架で死んで下さった。それが、イエス・キリストなのです。このイエス・キリストを救い主と信じることを通して、賜物として、恵みとして、わたしたちは救いを受け取ることができるのです。そして、そのことを通して、わたしたちは、幼子のこころを回復させていただくことができるのです。そして、そのこころをもって、わたしたちは、愛し、仕えて行く。そのことが求められているのです。
(前川隆一牧師)