わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。                        ヨハネ14章6節
 イエス様が、心騒がせている弟子たちに、「わたしは道であり、真理であり、命である」とおっしゃった場面です。

真理
イエス様は、「道、真理、命」ということをおっしゃいました。この中で、やはり中心的なことは、「道」ということです。今日は、順序を逆にして、イエス様が、「真理」であり、「命」であるということを先に覚えたいと思います。まず、「真理」ということ。わたしたちは、真理に歩む。そこに、平安の秘訣、力の秘訣があります。パウリは、コリント第二の手紙13章8節で、「わたしたちは、真理に逆らっては何もする力もなく、真理にしたがえば力がある」(口語訳)と言いました。


そして、「命」ということ。「命」それは、「能動の義」ということです。わたしたち、クリスチャンは、能動的に、積極的に、愛し、仕える者として生きるようにと召されています。わたしたちは、ああでもない、こうでもないと考えているより、行動することを通して、不安や恐れを吹き飛ばすことができるのです。


そして、「道」ということです。「道」、それは、イエス・キリストが、十字架へと通じる道を歩み、歩み通して下さったということです。そして、そのことを通して、わたしたちが、父なる神様へと通じる道を開いて下さったということです。「真理」、そして、「命」、そこに、平安の秘訣、力の秘訣があるということを学んで来ました。けれども、それは、このイエス・キリストが道であるということ。イエス・キリストを信じる信仰によって救われるということを土台にしてということです。

わたしたちは、救いに関しては、天地創造の前からキリストにおいて選んで下さった神に土台を置くのです。その上で、救霊ということ、また、愛の奉仕ということに関しては、とことん追求していく。そのような信仰に歩むようにと召されているのです。

(前川隆一牧師)