天使が答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」         ルカ1章35節

 
マリアがエリサベトを訪れた場面です。マリアの受胎告知の場面から、今日の箇所、そして、マリアの賛歌までを概観し、マリアの信仰について学びましょう。

引き受ける信仰
マリアは、今日で言えば、行きたいところへ行き、したいことをする、またそうすることができると思うような年齢でした。そのマリアに、あなたは、「救い主の母となる」という天使の御告げが届きます。マリアにとって、負わされた大きな重荷でした。でも彼女は、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と引き受けて行きました。自分の意志と決断をもって応答して行きました、そこに彼女の信仰の凄さがありました。

交わりを通して受ける励まし
そして、救い主の母となるという使命を引き受けたマリアは、親類のエリサベトのもとへ向かいます。このエリサベトの出会いを通して、マリアは、大きな信仰的励ましを受け取ります。そして、そこから生まれてきたのが、マリアの賛歌と呼ばれる46節以降の賛美でした。わたしたちも、信仰の交わりを通して、励ましを受けることができます。それは、神様に応答して生きる者同士としての交わりの響き合いをそこで経験することができるのです。

マリアの賛歌
マリアの賛歌、それは、逆転のうたです。旧約聖書の中にも、逆転のドラマがたびたび登場して来ます。でも、マリアの賛歌で語られている逆転は、そのような旧約聖書で語られる逆転と少し趣を異にしています。それは、十字架を基点とした逆転です。復活を基点とした逆転です。愛が憎しみに勝利するという逆転です。愛が憎しみを包んで行くという逆転なのです。

最後に、マリアが神様からの使命を引き受けることができた、それはマリアの偉さではなく、聖霊の働きでした(35)。そういう点で、わたしたちは、アリアを模範とすることができるのです。

(前川隆一牧師)