主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。」
ルカ17章6節
「赦し、信仰、奉仕」と表題のつけられている部分です。
信仰
一見バラバラのことが教えられているようにも思える箇所。けれども、その全体を貫く鍵のことばがあります。それは、「信仰」ということばです。イエス様が、「一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい」と教えられたときに、弟子たちは、「そんな信仰は自分たちにはない」と気づき、「わたしどもの信仰を増してください」と言いました。それに対して、イエス様は「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』といっても、言うことを聞くであろう」とおっしゃいました。そして、「奉仕」についての教えも、「信仰」を持っている弟子たちに対してこの教えを教えられたのでした。
ヨセフ
信仰によって赦しに生き、信仰によって奉仕に生きた人。そんな人として、わたしたちの頭にすぐ浮かぶ人、その一人の人は、ヨセフではないでしょうか。ヨセフは、無実の罪で牢屋に放り込まれたときも、恨み言の一つも言いませんでした。また、獄中でのヨセフの態度は、まさに、「わたしは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです」と言った僕のようでした。
インマヌエル
「そうは言っても、ヨセフは神様に選ばれた特別な人だから」と言われる方もあるかもしれません。でも、どうして、ヨセフがそのように歩むことができたのでしょうか。それを聖書は、繰り返し、「主がヨセフと共におられた」と言っています。ヨセフとともにいて下さった神様は、インマヌエル、わたしたちとも、ともにいて下さるのです。ヨセフは正しいプライドを持って歩みました。わたしたちは、ヨセフ以上に、わたしの値打ち、それは、キリストの命であるという正しいプライドを持って歩むことができるのです。
(前川隆一牧師)