しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。                ルカ6章27節
 
「敵を愛しなさい」と表題のつけられている箇所です。

しかし
27節の頭に、「しかし」と言われています。それは、これより前に書かれていることを受けて、「しかし」と言われているということです。20節から、「幸いと不幸」ということが語られています。わたしたち、信仰者は、世の人々と別な価値観に生きています。それによって、誤解されたり、嫌味を言われることがあるかもしれません。でも、祝福は、こちらにある。あの人たちは、今は喜んでいるかもしれないけれど、結局は災いのもとにある。そう言って自分を慰めることがあるかもしれません。けれども、そんなわたしたちに、イエス様は「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。」そう言われるということです。

ヨセフ
わたしたちは、このイエス様の教えをどのように受け取ったらよいのでしょうか。今日は、ヨセフの物語、ヨセフの姿を通して、このことをごいっしょに考えてみたいと思っています。聖書を読む限り、ヨセフが、怒ったり、嘆いたり、感情を爆発させたりということは書かれていません。わたしたちは、このヨセフの人間的立派さを模範として、赦し、愛し、親切にするようにと召されているのでしょうか。そうではありません。ヨセフの生涯を辿って行くとき、繰り返し、死と生とをヨセフは経験したということを見い出します。わたしたちも、死と生を経験したのです。キリストとともに古い人に死に、キリストとともに新しい命に生きるということを、わたしたちは、洗礼において経験したのです。そして、日々、この洗礼に立ち返って行く。それが、わたしたち、信仰者の歩みなのです。死と生という洗礼のリズムに生きる。それが、信仰生活なのです。この週も、主イエス様の豊かなゆるしといのちに与り、愛と赦しに生きる者と、主に導いていただきたいと思います。

(前川隆一牧師)