一人一人に霊の働きが現れるのは、全体の益となるためです。
Ⅰコリント12章7節
「霊的な賜物」と表題のつけられている部分です。
一人一人に
聖霊、それは、わたしたちに、イエス・キリストを指し示し、イエス・キリストを信じるように導いて下さる霊です。「ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも『イエスは神から見捨てられよ』とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです」(3)。その上で、体に、目があり、耳があり、手があり、足があるように、キリストを信じる一人一人に特別な賜物を与え、それを開発して下さる、それが、聖霊です。7節で、「一人一人に」とあるのは、英語の聖書では、エブリイワンです。つまり、すべてのキリストを信じる人に、何らかの賜物が与えられているのです。わたしたちは、その賜物を開発して行くようにと神様から召されています。自分がどんな賜物を与えられているかは、自分の興味、関心と深い関係があります。「その賜物がほしい」と思う、すなわち、その賜物が与えられている可能性が高いのです。
賜物の与え主
自分に与えられた賜物を発見、開発するということ。そして、それとともにたいせつなこと、それは、主を畏れるということです。神様が下さるプレゼント、賜物とともに、そのプレゼント、賜物の与え主に絶えず目を向け、心を向けるということです。
霊の結ぶ実
そして、もう一つ。御霊の実、霊の結ぶ実ということが言われています。「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません」(ガラテヤ5章22~23節)。実は、それを食べる人のためにあるのです。わたしたちも、霊の賜物を用いて行く。それは、わたしたちが愛し、仕えて行くその人のために用いて行く。そのようにわたしたちは、召されているということです。
(前川隆一牧師)