そこで、人々は、その出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。          ルカ8章35節
 
 イエス様が、悪霊につかれていた人をいやされたできごとです。

思い煩いからの解放

わたしたちも、さまざまなかたちで悪魔、悪霊の働きを受けているのです。そして、そこから解放して下さる。それが、イエス・キリストなのです。第一に、わたしたちは、心が分かれ、思い煩ってしまいます。その思い煩いから解放して下さる。それが、イエス様なのです。

仕事中毒からの解放

第二のこと。仕事中毒から解放して下さる。それが、イエス様です。自分を追い込むほどに仕事をしないとすれば、いい加減に仕事をしているということになるのかもしれません。けれども、それが行き過ぎると、わたしたちは、自分をそこなってしまうのです。また、逆に、他の人に対して、加害的になってしまうのです。そのような仕事中毒から解放して下さる。それが、イエス様なのです。

封印された良心からの解放

第三のこと。パウロは、クリスチャンになる前の自分のことをふり返って、自分はサタンの支配の下にいたと言っています。正義を押し立てて行くとき、わたしたちは愛を殺してしまうのです。正義を押し立てて行くとき、わたしたちは、良心を封印してしまうのです。第三に、その封印されてしまった良心を解放して下さる。それがイエス様なのです。

イエス様は、十字架の贖いを通して、イエス様は、思い煩いから解放して下さるのです。イエス様の十字架の贖いによって、罪赦され、神の子とされた。その原点に立ち返り、立ち返りすることを通して、人知を超えた平安をいただくことができるのです。また、人を見るのでなく、わたしを贖って下さった主を見上げ、その主を喜ばせることだけを求めて仕事をする。そこに、仕事中毒から解放される道があるのです。そして、主は、わたしたちの封印されていた良心を解放して下さるのです。

(前川隆一牧師)