「そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人ひとりの上にとどまった。」
使徒2章3節
 
キリスト教会の誕生に当たって、降られた聖霊は、舌のようなお方でした。

創造的に生きる者として下さるお方
聖霊が舌のようなお方というとき、第一に、それは、創造的、クリエイティブに生きる者としてくださる霊ということです。舌、それは、ことばをつかさどるものです。そして、ことばというとき、わたしたちの信じる主なる神様は、ことばでもって、世界宇宙を創造されたお方です。さらに、その神にかたどって創造された、それが、人間です(創世記1章27節)。創造的なお方、クリエイティブなお方であるというイメージを受け継ぐ者として造られた、それが人間です。聖霊は、その本来の創造的な、クリエイティブな存在であるわたしを回復して下さるお方ということです。

ユニークに生きる者として下さるお方
第二に、それは、ユニークに、独創的に生きる者として下さるお方ということです。舌というものは、言うまでもなく、ものの味を感じる器官です。そして、一人ひとりの味覚というものは、それぞれ違っているのです。聖霊は、創造的、クリエイティブに生きる者としてくださる霊です。そして、それは、十羽ひとからげではなく、一人一人、ユニークな存在として、独特な存在として、創造的に生きる者、クリエイティブに生きる者として下さるということです。

仕える者として下さるお方
第三に、聖霊は、助ける者、仕える者として下さる霊です。人間は、口を動かし、歯で噛み砕いて、ものを食べるということをします。舌、それは、ものの味を味わうとともに、歯が食べものをうまく噛めるように、歯のところへ持って行く働きをします。そのように、聖霊は、わたしたちを助ける者、仕える者として下さる霊ということです。

聖霊は、わたしたちをキリストへと導いて下さいます。キリストを信じる信仰によって、わたしたちは、創造的に生きる者としていただくのです。ユニークに生きる者としていただくのです。そして、仕える者としていただくのです。そして、そのわたしたちを、神様は一つとして下さるのです。

(前川隆一牧師)