顔を合わせて、あなたがたの信仰に必要なものを補いたいと、夜も昼も切に祈っています。             テサロニケに信徒への第一の手紙3章10節

パウロがもっていた牧者としてのこころ、羊飼いとしてのこころを学ぶことのできる箇所です。

与えることと与えられること
第一に、パウロは、与えることと与えられることを経験しました。パウロは、テサロニケのクリスチャンたちに対して、それこそ、自分を注ぎ出すようにして仕えました。また、その後も、パウロは、テサロニケのクリスチャンたちのために、自分を注ぎ出すようにして祈りました。とともに、パウロは、テサロニケのクリスチャンの存在を通して、大きな励ましを与えられました(8)。

仕えることと委ねること
第二に、パウロは、仕えることと委ねることとを経験しました。パウロは、母親が迷子になった子どもをなんとかして見つけ出そうとするような思いで、テサロニケのクリスチャンたちのことを心配しました。とともに、パウロは、自分が祈るべき、それは、苦難が取り除かれることではなく、苦難の中で、テサロニケのクリスチャンたちが保たれること。さらには、その苦難を通して、練り鍛えられて、強められることである、ということを知っていました(4)。

積極性と無力さ
第三に、パウロは、積極性と無力さということを経験しました。パウロは、テサロニケを再訪したという願いを持っていました(11)。そのために、具体的に、実際的に、できることは何でもしました。でも、その一方、その道が開かれるか開かれないかは、神様の御手に委ねていました。

与えることと与えられること。仕えることと委ねることと。積極性と無力さ。そのようなパウロが身につけて行った牧者のこころ、羊飼いのこころをわたしたちも身につけさせていただき、仕える者として歩ませていただきたいと思います。それは、「与えることと与えられること」。十字架上で、命を与え尽して下さったイエス・キリストの愛と命によって、そのように歩むことができるのです。

(前川隆一牧師)