わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。  Ⅰコリント15章58節
 
福音書は、「終末の徴」と表題のつけられているところです。

惑わされないで生きる
わたしたちは、終末に向かって一歩一歩歩んでいます。死に向かって、一歩一歩歩んでいます。そんなわたしたちに向かって、イエス様は言われます。「惑わされないように気をつけなさい」8節です。惑わされないで生きる。それが、今日、聴き取って行きたい第一のメッセージです。神様は、さまざまなことを通して、終わりということを意識するようにと導かれるのです。惑わされないで生きる。それは、わたしたちが、終わりを意識しながら歩むということです。

しなやかに生きる
第二に、「しなやかに生きる」ようにとの主からのメッセージを聴き取って行きたいと思います(12~15)。しなやかに生きる。それは、マイナスと思える状況の中にあって、プラスを見出して行くというしなやかさです。また、それは、自分の限界を超えて、愛し、仕えて行くというしなやかさです。

土台であるキリストの復活
終わりを意識しながら生きるということ。しなやかに生きるということ。第三に、そのようにわたしたちが生きる土台、それは、キリストの復活であるということを覚えたい、と思います。わたしたちは、終わりを意識しながら生きることがたいせつです。でも、わたしたちは、決して刹那的になる必要はありません。キリストの復活によって、死を超えた命に生かされているのです。わたしたちは、しなやかに生きることがたいせつです。それは、わたしたちは、生と死を超えてしなやかに生きるようにと召されているのです(フィリピ1章21節)。「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」(Ⅰコリント15章58節)。

(前川隆一牧師)