神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいていてなされたのです。
ローマ4章13節
アブラハムとその子孫に世界を受け継がせるという約束、それは、信仰による義に基づいてなされたということが記されています。
信仰による義
今日のところの前、4章の冒頭では、割礼とそれが指し示している神の掟を守り行うことによってアブラハムは義とされたのではなく、信仰によって義とされたのである、ということが論じられています。「聖書には何と書いてありますか。『アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた』とあります」(ローマ4章3節)。
祝福の源
そのようなことを受けて、アブラハムとその子孫に世界を受け継がせるという約束、それもまた、信仰によってであると論じている、それが今日の箇所です。では、その約束どこに記されているのでしょうか。それは、創世記の12章2~3節です。「わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める 祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る」。「アブラハムとその子孫に世界を受け継がせるという約束」それは、世界の人々を祝福する祝福の源となる。支配するのではなく、逆に、仕える民となる。それが、ここで言われている約束でした。
キリストによって
そのようなことが語られて、今日のすぐ後のところですが、急に、イエス・キリストの十字架と復活のことが語られています(23~25)。それは、アブラハムが経験した信仰による義、そして、祝福の源とされるという幸い、祝福に、イエス・キリストの十字架と復活を通して、わたしたちも与ることができるということです。いや、アブラハムの経験した幸いと祝福、それは、イエス・キリストの十字架と復活を通してもたらされる祝福と幸いを指し示していたということです。
(前川隆一牧師)