さて、イエスは目を上げて弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。」       ルカによる福音書6章20節
 
イエス様が山を下りて、多くの病人をいやされたというできごと、そして、イエス様による平地の説教です。

山を下りる
今日の箇所を通して、第一に、わたしたちも山を下りるように召されていることに心を留めたいと思います(17)。イエス様は、山を下りて行って、人々に寄り添うように教え、仕えて行かれました。わたしたちもこのイエス様の御足の後に従うように召されているのです。励ますこと、同情すること、教えること、それはいずれも上から目線のことです。そうではなく、まず下りて行って、困難な状況、たいへんな状況の中にある人に寄り添うようにとわたしたちは召されているのです。

祝福する
第二に、イエス様は、「貧しい人々は、幸いである」「今飢えている人々は幸いである」「今泣いている人々は、幸いである」と、幸い、祝福を宣言し、幸い、祝福へと人々を招いて行かれました。そのようにわたしたちも、人々に、幸い、祝福を宣言し、幸い、祝福へと招いて行くように召されているのです。わたしたちは、神様から祝福を受けて、人を祝福していくようにと召されているのです。

喜びに生きる
第三に心に留めたいことは、わたしたちの歩み、それは、喜びに生きることである、ということです。23節で、「その日には、喜び躍りなさい」ということが言われています。もちろんそれは、能天気ということではありません。むしろ厳しい現実を前提としてのことです。一つ前の22節で、「人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである」と言われています。マイナスであればあるほど、それを、プラスに転換していく、そんな能力を培って行くようわたしたちは、召されているのです。

イエス・キリストの十字架という確かな土台の上に、喜び、人々を祝福し、下りて行って仕える、そのようにわたしたちは召されているのです。

(前川隆一牧師)