彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。 ローマ4章20節
アブラハムの信仰がどのような質の信仰であるかを論じながら、それがキリストを信じる信仰と同質の信仰であるということをパウロが論じているところです。
望み得ないのに、なおも望みつつ信じる信仰
アブラハムの信仰、それは、ひと言で言うなら、「望み得ないのに、なおも望みつつ信じる信仰」ということでした(18)。人間的には希望を持てない中で、しかし、神様が約束して下さっているのだからと持つ希望、それが、アブラハムの信仰の本質である、ということでした。
強い信仰
さらにパウロは、「信仰によって強められ」ということを言っています(20)。「望み得ない」からといって「弱まる」のでなく、むしろ神様の約束のゆえに「強められた」。つまり、ここで、信仰の強い弱いということをパウロが言っているということです。では、パウロが言っている信仰の強い弱いというのはどういうことを言っているのでしょうか。それは、わたしたちが常識的に使っているのとは少し違った意味合いでパウロはこの表現を使っています。すべて神様がして下さるからお任せしますという信仰、それが、パウロが言う強められた信仰ということなのです。
外に連れ出され
では、アブラハムは、どのようにして、そのような信仰を身につけて行ったのでしょうか。それは、神様に呼び出されて、外に出て、星を見ることによってでした。満天の星を眺めるアブラハムに神様は、「あなたの子孫はこのようになる」とおっしゃったのでした。その神様の御約束をアブラハムは信じた。その信仰を神様が義とされたのでした。同じように、わたしたちの救い、希望、それは、わたしたちの内にではなく、外にあります。日常生活から出て、礼拝の場に身を置く。そして、十字架を通して表された神様のご愛と救いを見上げる、そのことを通して、わたしたちもアブラハムと同じ信仰を養っていただくことができるのです。
(前川隆一牧師)