マタイ13:1〜9,18〜23
隠された天の国の奥義 キリストがこの世に来られたことは、天の国を宣言されるためであって、まさに良いしらせである。キリストは山上の説教から天の国の秩序を、十二弟子を派遣し、天の国の到来を伝える。また悪霊を追い出し、天の国の力を示した。マタイの中心部の13章から天の国について譬えを用いて語られるが、むしろそれは天の国の秘密を隠すためであり、目は見ている、耳は聞いている弟子たちは幸いであると語られた。
蒔かれた種 天の国は、良い土地に蒔かれた種が実を結ぶものと説明される。このたとえ話を聞くと、私たちは良い土地になろうと結論づけ、良い土地になるのが教会生活や信仰の目票のようになりがちである。しかし土地みずからが耕してよい土地になれないことと同じように、わたしたち自分の力で自分自身を改良することができない。神様から離れた私たちの罪は、「正しい者はいない一人もいない。悟るものもなく神を探し求める者もいない」(ローマ3:10-11)のである。
実を結ばせる御言葉の力 実を結ぶことが絶対的不可能は私たちのために、キリストがこの世に来られ、私たちを良い土地として耕してくださる。それが十字架の贖いの恵みである。すでに私たちは選ばれた民、聖なる国民、神の国の民(Ⅰペトロ2:9)としてすでに一人一人を招いてくださっていると確信する者でありたい。
(朴鍾祐長老)