だから、わたしたちは、イエスが受けられた辱めを担い、宿営の外に出て、そのみもとに赴こうではありませんか。            ヘブライ13章13節

 
ヘブライ人への手紙、その最終章、13章です。

祭司としての歩み
13章をはじめから見て行くと、非常に具体的な生活の勧めが語られています。これまで、「大祭司イエス」ということについて、深い神学的な内容を語って来たこれまでの章と比べると、付け足しのような章、そんな印象をもつ方もおられるかもしれません。けれども、よく読んで行くときに、やはり、ヘブライ人への手紙の最終章、締めくくりの章としてたいせつなことが記されているということを味わうことができます。それは、「祭司として生きよ」というすすめです。

教えられやすい者
では、わたしたちが、そのように祭司として生きるためにたいせつにすべきことは何であるのか。それは第一に、わたしたちは、教えられやすい者である必要があります。17節でこのように言われています。「指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい。この人たちは、神に申し述べる者として、あなたがたの魂のために心を配っています。彼らを嘆かせず、喜んでそうするようにさせなさい。そうでないと、あなたがたに益となりません」。あのペトロが用いられて行った、それは、主に従ったからでした。ペトロが、教えられやすい人であったからでした。

祈り祈られる必要
第二に、それは、祈り、祈られるということです。18節で、「わたしたちのために祈って下さい。わたしたちは、明らかな良心を持っていると確信しており、すべてのことにおいて、立派にふるまいたいと思っています」と言われています。

わたしたちは、主に救われた者として、祭司として生きるようにと召されています。そして、わたしたちが、祭司としての使命を全うするために、教えられやすい者であることが必要です。祈り祈られることが必要です。

いよいよ祭司として歩むわたしたちの歩みを主が祝福して下さいますよう、祈りつつ、アドベントの季節を迎えさせていただきたいと思います。

(前川隆一牧師)