イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」                  ヨハネによる福音書20章17節

 

イースターの朝のできごとが記されています。

死んだ希望から生ける希望
イエス・キリストの復活に関してさまざまなまちがった考え方があります。その第一は、弟子たちがイエス様のご遺体を盗み出し、「イエス様は復活した」と言いふらした、という考え方です。これはまったくのナンセンスです。この方こそ、イスラエルを再興して下さるお方との希望をおいていたイエス様が十字架にかけられたとき、弟子たちはまったく希望を失ってしまったのでした。そんな弟子たちが生ける希望に生かされるようになった、それは、キリストの復活のできごとによってでした。

死んだ信仰から生ける信仰へ
よく「疑い深い弟子たち」という表現をすることがあります。けれども、弟子たちは、疑い深くなっていたというより、信仰が死んでしまっていたのです。そんな弟子たちが生ける信仰に生かされる者となっていった、それは、キリストの復活によってでした。では、どんな風にして、わたしたちは、生ける信仰を自分のものとすることができるのでしょうか。それは、イエス様によって、聖霊様によって、心開いていただき、みことばを解き明かしていただくことを通して、死んだ信仰から生ける信仰へと造り替えていただくことができるのです。

死んだ愛から生ける愛へ
マグダラのマリアは、イエス様に深く愛された女性でした。他の男性の弟子たちが、帰っていく中で、ただ一人イエス様の墓の前にたたずんでいました。復活されたイエス様は、そんなマグダラのマリアに近づかれました。「マリア」と声をかけられました。そして、マリアに向かって、「すがりつくのはよしなさい」とおっしゃいました。とすれば、マリアは、この時点で、イエス様にすがりついているのです。マグダラのマリアは、イエス様に受け留めていただいて、愛する者、仕える者、主の復活の証人として遣わされて行きました。死んだ希望から生ける希望へ。死んだ信仰から生ける信仰へ。死んだ愛から生ける愛へ。わたしたちも礼拝を通して、同じ恵みに与らせていただきたいと思います。

(前川隆一牧師)