主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。 詩編90編1節
詩編90編の一つのテーマ、それは、「神をわたしの宿るところとする」、「神をわたしの住まいとする」ということです。
神の語りかけを聴いて生きる
では、具体的に、「神をわたしの住まいとする」とは、どのようなことなのでしょうか。住まい、それは、自分があるがままに受け入れられ、いられるところです。また、「神をわたしの住まいとする」という「住まい」それは、「神の語りかけを聴く場」そう言い換えることもできます。
神の家族の交わりの中で生きる
第二に、それは、決して孤独な歩みではありません。わたしたちは、神を信じて生きるとき、その同じ神を信じる信仰の友が与えられるのです。ですから、「神をわたしの住まいとする」、それは、神の語りかけを聴いて生きるということであるとともに、神の家族の交わりの中で生きるということでもあるのです。
地上の生を超えて、「神をわたしの住まいとする」
そして、第三に、それは、地上の生を超えて、「神をわたしの住まいとする」ということです。詩編90編は、無常ということをうたっている詩編です。けれども、その無常に対する解決、救いということになると、わたしたちの日本人的な感覚から少し違ったことが語られています。神の「怒り」「憤り」「御怒り」ということが言われています(7~9)。聖書は、この世界は、最初から無常なる世界ではなかったと語ります。人間は、神のかたちに、永遠なる神様と特別に交わる存在として造られた。けれども、そこに罪が入り込んだことを通して、この世界は、無常なるもの、神の怒りの対象となってしまった。その無常なる世界に、永遠なるお方が入り込んで下さった。それが、イエス・キリストであるということです。そして、わたしたちが、受けるべき、神の怒りを、罪の裁きを身代わりに受けて下さった。それが、十字架のできごとです。ですから、聖書が語る無常に対する解決、救い、それは、キリストの十字架と復活にあるということです。
(前川隆一牧師)