愛する者たち、わたしたちは今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのままに見るからです。
Ⅰヨハネ3章2節
使徒ヨハネが、クリスチャンたちに「神の子とされている」ということを思い起こさせようとしているところ、それが、今日の箇所です。
信仰の歩みの土台
「神の子とされているという自覚」、それは、わたしたちが仕え、赦し、あかしして行くという信仰の歩みの土台です。人間の歴史、それは、罪の歴史です。そして、まちがえてはならないこと、それは、神様のせいで人間が罪を犯したということではなく、その人が選び取って罪を犯したということです。そして、他人ごとではなく、わたしたちも同じ罪の根を持っているのです。逆に、わたしたちは、キリストを信じ、神の子とされ、神様のみこころに生きることを喜ぶ者とされました。それは、わたしたちのいさおしによらず、ただ、神の恵みによるのです。このことをほんとうにわたしたちが理解するなら、わたしたちは、「神の子」らしく生きようとするのです。
死を超える希望
第二に、「神の子とされているという自覚」、それは、死を超える希望をわたしたちに与えてくれます。わたしたちクリスチャンは、どんなに人間関係が変化しても、まわりの状況が変わっても変わることのない自分、アイデンティティーを持ち続けることができます。それは、「神の子」とされているという自分、アイデンディティーです。そして、それは、死という、言わば一番大きな変化の中にあってさえ、奪われることのない自己、アイデンティティーであるのです。
勝利の秘訣
第三に、「神の子とされているという自覚」、そこに、人生の戦いに勝利する秘訣があります。わたしたちは、キリストの十字架と復活を信じる信仰を通して、神の子とされたわたしと主がともにいて下さる。そして、いつも支え、導き、必要なことばを与えて下さるという経験を日常生活の中で経験することができます。そこに、わたしたちの勝利の秘訣があるのです。
(前川隆一牧師)