もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。
                            ローマ8章17節

 
ローマ8章14節で、「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです」と言われています。この「神の霊に導かれる者の生き方」について学びたいと思います。

神の霊に導かれて生きる
ヨハネ3章で、イエス様は、「水と霊とによって生まれなければ」とおっしゃいました。そのように、霊によって生まれたわたしたちは、霊に導かれて生きる必要があるのです。それは、神様との新しい関係の中で生きるということです。そのポイントは、生まれた状態、赤ん坊の状態から始めるということです。赤ちゃん時代を経験する、そのことを通して、その後の成長の土台が築かれるのです。そのようなところを経て、わたしたちは、他の人を愛する人としていただけるのです。

神の相続人として生きる
第二に、神の霊に導かれて生きるわたしたちは、神の相続人であるということに心を留めたいと思います(17a)。今の時代、「養子」と言うと、何となく肩身の狭い印象があります。けれども、紀元1世紀のローマにおいては事情は違っていました。りっぱな名門を誇る親は、その名門の名前と財産と地位を譲るにふさわしい人物を見つけて養子としました。ですから、神の相続人というとき、ほんとうに神様が信頼を置いて相続人として下さったということであるのです。そのような正しいプライドをもって歩むようにとわたしたちは招かれているということです。

キリストと共に苦しむ
「キリスト共に苦しむなら、共にその栄光を受けるからです」(17b)。神の相続人とされ、神の霊に導かれて歩むわたしたちの実際の歩みは戦いの歩みです。それは、前にも触れたとおり、世の価値観とわたしたちが神の子とされた価値観とが違っているからです。わたしたちは、神の子としていただいたという神様に対する信頼を土台として、この世の戦いに出て行くのです。また、繰り返し、神の子とされたという原点、洗礼という原点に立ち返って、そこから、また歩み出して行くことができるのです。そして、それが、この礼拝のときなのです。

(前川隆一牧師)