そして、わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、霊に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです。       コリントの信徒への手紙第一2章13節

 
今日の福音書は、「腹を立ててはならない」「姦淫してはならない」「離縁してはならない」「誓ってはならない」と表題のつけられている部分です。

イエス様の命令
今日の福音書の箇所をよく読むと、十戒の五戒、六戒、二戒をイエス様が展開しておられる教えということができます。21~26節では、怒りを正しく治めなさい、ということが。27~32節では、肉欲を正しく治めなさい、ということが。33~37節では、ことばを正しく治めなさい、ということがそれぞれ教えられています。けれども、わたしたちは、どのようにして、このイエス様のご命令に従うことができるのでしょうか。また、怒りを治めるということ、それはどんな場合にも耐え忍ぶということをイエス様は命じておられるのでしょうか。さらには、ことばを治める、それは、何も言わず、何も語らず、何も誓わず、と殻に閉じこもって生きることを命じておられるのでしょうか。

聖霊によって
これらのことは、ほんとうに広範囲なことがらですので、なかなか一言でまとめることはできません。ただ一つ言えること、それは、人間のがんばりによって、それをすることはできないということです。神様の働きを受ける必要があるということです。そのためにたいせつなこと、それは、ニュートラルになるということです。神様の前にニュートラルな状態、それは、自分が赦されなければならない罪人であると認め、そのわたしを神様がキリストの十字架によって赦して下さっているという赦しを受け取るということです。そこで、わたしたちは、神様から愛する力をいただくことができるのです。また、距離を置くべきときには距離を置き、こちらの意見を言うべきときにはふさわしく語る知恵と力とをいただくことができるのです。人間の知恵ではなく神の知恵によって、神の霊、聖霊の働きを受けることを通して、そのことをなすことができるのです。

(前川隆一牧師)