だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。 ローマ11章22節
イスラエル民族に関わる神様の救いの歴史が論じられている9章から11章までの最後に近い部分、「異邦人の救い」と表題のつけられている部分です。
接ぎ木
まず、17節に注目したいと思います。「接ぎ木」ということが言われています。ここで言われていること、それは、新約の時代のクリスチャンも旧約の時代の神の民と同じいのちにつながっている、ということでした。前回、キリストの救いというのは、旧約聖書という土台があって、キリストの救いが成就したのである。その旧約聖書の歴史を形づくって来たイスラエル人の救いということをまったく度外視してしまうなら、キリスト信仰が根のない根無し草のようになってしまうということを申し上げました。そのことをパウロは、もう一度、確認しているのです。
誇ってはならない
第二に、だから、誇ってはなりません、高ぶってはなりません、ということが言われています(18)。新約の時代のクリスチャンも旧約の時代の神の民と同じいのちにつながっている。いや、旧約の神の民が、神様との契約の中で、築き上げて来たその救いの歴史の上に、あなたがたは立っているのである。だから、誇ってはならない、高ぶってはならない、ということが言われているということです。
恐れなさい
第三に、「恐れなさい」ということが言われています(20)。イスラエル人が折り取られ、神様の祝福から落ちてしまったように、異邦人であるあなたがたもいつ祝福から落ちてしまうか分からない。恐れおののいて、びくびくしながら歩みなさい、ということが言われているのでしょうか。22節を見ると、「だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい」とあります。「神の慈しみと厳しさ」、この順序がたいせつです。十字架に表された神の慈しみ、神の愛、キリストの愛を見つめ、その愛をしっかりと受け取って行くときに、わたしたちの内側から神様のみこころに歩みたい、神様の示される道に歩みたいという願い、思いが起こされて行くのです。
(前川隆一牧師)