弟息子の出て行った「遠い国」は距離でなく、心の離れていることを意味します。そこは飢饉に見舞われています。私たちの魂は神に向かって造られたので、イナゴマメでは生きることができません。神から離れていては、何も、誰もその恐ろしい深刻な飢えを真に癒すことはできません。
まず、「我に返る」ことです。父なる神は愛して求めることを片時も止められません。弟息子が自分の想いを口にするより早く理解しました。子の新たな衣、靴‥。歓びの祝宴が与えられました。
兄息子の「ねたみ」は、神がそばにいてくださる生活の可能性と祝福を失わせます。私たちは神の内に生き、神は私たちの内に生きておられます。
「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ」。主イエスには一切の神の賜物が備えられ、私たちが信仰によってそれを自分のものとするのを待っておられます。うぬぼれやファリサイ的な誇りのゆえに、喜びの祝宴に加わらないなら、自身の祝福を失う。神は私たちが永遠の祝福に与ることを願っておられます。
(池上 安師)