わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたを産もうと苦しんでいます。 ガラテヤ4章19節
福音書は、ヘロデが、ベツレヘムの二歳以下の男子を皆殺しにしてしまったという何とも言えない箇所です。
ヘロデの罪
ユダヤの王として君臨するために、壮大な神殿を建てたヘロデは、そのことを妨げようとする存在をことごとく退けようとしました。そういう意味で、ヘロデが、エルサレムの神殿を再建したことと、ユダヤの王としてお出でになったイエス様を殺そうとしたことというのは、一つにつながっているということもできます。
律法主義
ヘロデの罪、それは、自分の栄光を求め、それを妨げるものを抹殺してしまおうとした罪ということです。では、それは、一人ヘロデだけの現実なのでしょうか。そうではなく、神を退け、自分の思いを押し通そうとするわたしたちすべての人間の罪であるということができます。さらに言うなら、信仰の名において、そのことが行われることがあるということをわたしたちは覚える必要があります。ヘロデは、ユダヤ人の王としてお出でになったイエス・キリストを抹殺しようとしました。そのヘロデに代わって、そのことを果たした。それは、ユダヤ人たちでした。彼らは、主イエス・キリストの父なる神を信じながら、その主イエス・キリストを受け入れることができずに殺してしまったのでした。
律法主義からキリストにある自由へ
ヘロデの罪、それは、一人ヘロデだけの現実ではなく、律法主義ということとつながっているということ。そして、第三に、今日の使徒書、ガラテヤ信徒への手紙4章は、そのような律法の奴隷から神の子、神の相続人とされているというクリスチャンの身分を思い起こさせようとしている箇所です。キリストが下さる自由に生きる。それは、律法の下に生まれて下さったキリストによって可能となる生き方です。また、それは、「アッバ、父よ」と叫ぶ霊、すなわち、聖霊によって可能となる生き方なのです(ガラテヤ4章6節)。
(前川隆一牧師)