夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。 マルコ4章27節
「成長する種のたとえ」、「からし種のたとえ」、「たとえを用いて語る」と表題のつけられている箇所です。
からし種のたとえ
まず、「からし種のたとえ」です。このたとえを通して、イエス様は、わたしたちに、実を結ぶ人生を生きることができるとの約束を与えて下さっています。しかも、そのことを、イエス様はたとえをもってお教えになりました。それは、わたしたちに、実を結ぶ人生を生きることができるというイメージを与えるため、ビジョンを与えるために、イエス様はたとえで、教えておられました。
夜昼
第二に、「成長する種のたとえ」です。ここのポイントは、「夜昼」と言われていることです。ユダヤ人にとって、一切のことを神様に委ねて、夜休むというところから一日が始まって行っているということです。神様にお委ねする、神様に信頼する、そのことを通して、わたしたちは、実を結ぶ者としていただくことができるのです。これが、今日覚えたい第二のことがらです。
何を経験するのか
神様にお委ねする、信頼することを通して、わたしたちは何を経験するのか。そのことを、第三に覚えたいと思います。34節で、イエス様は、「御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された」と記されています。「すべて」のことの中の、最も大切なこと、それは、キリストの十字架と復活であるとパウロは言っています(Ⅰコリント15章3~4節)。神様にお委ねする、信頼する、そのことを通して、わたしたちは、キリストの十字架の赦しを経験させていただくのです。キリストの十字架のいやしを経験させていただくのです。わたしたちは、主の赦しを受け、また、主のいやしを受け、奴隷の霊から解放していただき、自由の子として、正しい判断をして行く者へと導いていただくことができるのです。そして、実を結ぶ人生へと導いていただくことができるのです。
(前川隆一牧師)