夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。 マルコ4章27節
「成長する種」のたとえと「からし種」のたとえとです。
みことばに命がある
第一に、みことばに命がある、力があるということを覚えましょう。「そして今、神とその恵みの言葉とのあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです」(使徒20章32節)。パウロがミレトスにおいて、エフェソの教会の指導者たちに別れの説教を語った、その一節です。パウロも、神のことば、みことばの中に人を造り上げ、恵みを受け継がせる力があると信じていたのでした。
神のリズムに生きる
第二に、みことばが芽を出し、成長するのにリズムがある、ということを覚えたいと思います。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない」(27)。ここで注意したいことは、夜昼といわれていることです。ユダヤ人の間では、一日の仕事を終え、すべてのことを神様に委ねて、夜休むというところから一日が始まっていくのです。でも、それではわたしたちは、神様にお委ねして、「ケセラセラ、なるようになるさ」という生き方では決してありません。わたしたちも息を吐いて吸い込むように、激しい戦いのある中、その重荷を神様に吐き出し、神様の恵みを吸い込んで生きる、そのような神のリズムに生きる者としていただきましょう。
神の幻に生きる
第三に、どちらのたとえでも、種は芽を出し、大きく成長しています。信仰をもって歩む、それは、このような幻に生きるということです。わたしたちは、10年先、20年先のことは分からなくても、すべてのことを働かせて益として下さる神様に信頼を置いて、一歩一歩お従いして行く、そのように神様から招かれているのです(ローマ8章28節)。
(前川隆一牧師)