「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」          ルカによる福音書20章38節
復活はないという立場のサドカイ派の人々とイエス様との問答の個所です。

神の力を知らない
並行箇所であるマルコによる福音書12章24節にはこのように言われています。「イエスは言われた。『あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか』」。ルカによる福音書を見ると、この二つの無知を逆の順番で展開して行かれているということが分かります。まず、「神の力」を知らない無知ということです(34~36)。もともと結婚という制度は、人間の成長、成熟、完成のために備えられた制度でした。ですから、次の世においては、一人一人がもう人格的に完成している、だから、もはやめとったり、嫁いだりする必要はなくなるのである、とおっしゃっておられるということです。

聖書を知らない
第二に、「聖書」を知らない無知ということ(37~38)。サドカイ派の人々は、モーセ五書、すなわち、創世記から申命記までのところの本文に従ってすべてのことを考えるという立場の人々でした。「モーセ五書こそが、聖書であって、モーセ五書の中には復活ということが記されていないではないか」というのが彼らの主張でした。それに対してイエス様は、いやそうではない。モーセ五書の中でも、復活ということが語られているではないかと反論された、それがこの場面です(37)。

神によって生きる
そして、続けて、イエス様はこうおっしゃっています。38節の後半、「すべての人は、神によって生きるからである」。すべての人が神に生きるようになるためにお出でになった、それが、イエス・キリストというお方でした。イエス様は、罪によってまとはずれな人生を生きているわたしたちの罪を赦し、神の子とし、永遠の命に生きる者となるよう、十字架で死ぬためにお出で下さった救い主です。そのイエス様を救い主と認めることができない霊的な無知、それこそが、実はサドカイ派の人々の最大に無知でした。

(前川隆一牧師)