あなたがたは代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。                      Ⅰコリント6章20節

今日の使徒書、コリント信徒への手紙第一7章29~31節は、主に結婚ということについてパウロが教えている7章の一部分です。
召しにとどまる
今日の箇所の前後で、第一に、神様によって召されたその召しに留まるということが教えられています。たとえば、結婚ということに関して、「また、ある女に信者でない夫がいて、その夫が一緒に生活を続けたいと思っている場合、彼を離縁してはいけない」ということが言われています。13節です。ある方は、神様に召されて、牧師となって行きます。宣教師となって行きます。けれども、多くの場合、神様は、今あなたが置かれているところ、それが、あなたが召されたところなのである。そのところで、人々を愛し、仕え、あかししなさい、とおっしゃるのです。

時の感覚を身につける
第二に、今日の箇所を通して覚えたいこと、それは、時の感覚を持つということです(26)。わたしたちは、どのような境遇に置かれていようとも、この時の感覚を持つということがたいせつです。英語の表現で、「ベストの最大の敵はベターである」という言い方があるようです。それ自体はよいものであっても、ベストのものよりもそれがたいせつにされるなら、人生が崩れて行ってしまうということをわたしたちは経験するのです。

主にあって
第三に、今日心に留めたいこと、それは、「主にあって」ということです。今日の箇所のもう少し後の方ですが、39節の後半の「ただし、相手は主に結ばれている者に限ります」の部分ですが、新改訳聖書では、「ただ主にあってのみ、そうなのです」となっています。現在の状況を主に召された状況として受け留めて留まるか、それとも、一歩踏み出すか、それは、最終的に、「主にあって」ということなのです。そして、「主にあって」、主の十字架の贖いによって買い取られた者として、神の愛に押し出されてそのように歩むようにと、わたしたちは召されているのです。

(前川隆一牧師)