「そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。」ルカ24:51

 イエス様が天に昇られたときの弟子たちにはなぜか喜びがあり、活気がありました。なぜ弟子たちは大切な師と別れたのに喜びがあったのでしょうか?

それは私たちの生活の中にも喜びと活力を与えてくれるものです。

①イエス様の約束・聖書のことばは実現する

「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する(24:44)」と言われました。これは聖書の事柄は必ず実現するという意味です。イエス様との別れが悲しいものではなかったは、「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる(マタイ28:20)」「あなたがたをみなしごにすることはない(ヨハネ14:18)」「助け主を送る(14:16新改訳)」という約束があり、その約束は必ず実現すると言われたからです。

②心の目が開かれたから

弟子たちはいつもイエス様のそばにいて、たくさんのことばと教えを聞いていましたが、理解できず、受け入れることができず、信じることができない姿が描かれています。それは、罪のゆえです。罪とは、私たちと神様の関係が壊れてしまっている状態のことです。しかし、イエス様は弟子たちの罪のゆえに閉ざされていた心の目を開かれました。そして、「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。 また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」という言葉が彼らの心に届けてくれました。弟子たちは、イエス・キリストがしてくださった救いとこれからの自分たちの使命(召し)を見ました。

③祝福されたから

イエス様は、手を上げて弟子たちを祝福されました。今もイエス様は、私たちも祝福してくれています。なかなか自分が祝福されているということが感じることができないときや忘れてしまうときもあります。礼拝の最後に祝祷がありますが、あれは牧師個人が祝福を祈っているということではなく、キリストの代理人としていつも祝福を宣言してくださっています。ですから礼拝に預かるたびにイエス様が弟子たちを祝福されたと同じように私たちを祝福してくださり、私たちの行くべきところへと送り出してくれています。

(高平真生師)