主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。                   ローマ13章14節

福音書は、「婚宴のたとえ」と表題のつけられているところです。

局部的意味
このたとえ話の局部的な意味、狭い意味でのメッセージ、それは、ユダヤ人、イスラエル人に向けて語られたメッセージです。このたとえで、不思議と思えるのは、婚礼に来なかった人々に王が報復したという箇所です(7)。そのことを解く鍵は、マタイによる福音書が書かれた年代ということです。それが、紀元80年、あるいは、90年であるとするなら、紀元70年に起きたできごとの後に書かれたということになります。マタイは、もし、ユダヤ人がキリストを受け入れ、愛とけんそんの道を歩んだなら、あのエルサレム陥落という悲劇は起きなかったに違いない。そのような深い悲しみをもって、このところを書き記しているということです。

普遍的意味
このたとえ話の普遍的な意味、広い意味でのメッセージ、それは、神様は、すべての人を神の王子キリストによってもたらされた神の国に招いておられるということです。それは、わたしたちにほんとうの自由を与え、いのちを溢れさせて下さるため、そして、永遠の命を与えるためであるということです。

礼服
最後に、11節に注目したいと思います。この人は、どうして婚礼の礼服を着ていなかったのでしょうか。実は、この当時、王は、突然招くことになった客のために、礼服を用意していたのです。どうして、支給された礼服を彼は着なかったのでしょうか。一つ考えられること、それは、「自分のような者が、そのような高価な礼服を着る値打ちがない」と遠慮したということです。けれども、そうだとすれば、それは、必要のない遠慮でした。また、けんそんのようで、王様の行為を受け取らないという点で傲慢でした。わたしたちは、自分の努力やがんばりによって、自分で自分を救うことのできない存在であることを認めて、キリストを、キリストの救いを身にまとう。そこから、すべてが始まって行くのです。

(前川隆一牧師)

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