マタイによる福音書 18章15節~20節
主イエスを信じるものがクリスチャンと呼ばれるようになったころ、できて間もない信徒の群れには様々な困難があった。この箇所は教会の中での問題解決の順序を述べているが、後半、主イエスがおっしゃられた言葉は当時の背景を考えると実に意味深い。
彼らは「二人または三人が集まるところには神がおられる」と先祖代々聞いてきた。しかし、主イエスは、その表現を用いて、「わたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」と、ご自身の神の御子としての救い主の宣言をされている。これは律法や口伝の細則により頼んで来た約束の民にとって、実は驚くべき恵みの時代の到来を告げる宣言でもあった。
「どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」このみ言葉に私たちは多くの励ましと慰めをいただいてきただろうか。私たちには、裁くことではなく、むしろ、主イエスキリストがともにいてくださるという確信のもと、互いの関係の回復のために、許しのために、祈りの輪をもたねばならない、またそれができるのが教会である。「どこに行けばあなたの霊から離れることができよう」(詩編139編)
(伊藤和史長老)