こういうわけで、兄弟たち、神の憐みによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。                        ローマ12章1節

 
「キリストにおける新しい生活」と表題のつけられている部分です。

礼拝の生活
1節を見ると、「こういうわけで、兄弟たち、神の憐みによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」と言われています。第一に、「キリストにおける新しい生活」、それは、礼拝の生活、神様を礼拝して歩む生活であるということが言われています。「なすべき礼拝」とあります。世の人は、「クリスチャンは、日曜ごとに、教会に行って、奇特なことだ」と言われるかもしれません。けれども、信仰を与えられたわたしたちにとって、それは、本来的なことであり、自然なことであり、理に適ったことなのです。

変えていただく必要
第二に、2節に目を留めたいと思います。「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」。「むしろ、心を新たにして自分を変えていただき」と言われています。イエス・キリストをわたしの救い主と信じ、このキリストの父なる神をわたしの神として歩んで行こう、そのように、神様の憐みを受け、聖霊の働きを受けて、歩み出した、それが、クリスチャンです。でも、わたしたちは、繰り返し繰り返し、その原点に立ち返り、立ち返って行くことが必要なのです。

健全な思い
第三に、心に留めたいこと、それは、健全な思いをもって歩むということです(3)。「自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです」とあります。神様が与えて下さったわたしとして、健全に自分を評価し、自分に与えられているものを用いて奉仕し、あかしして行く、それが、クリスチャンの歩みであるということです。

(前川隆一牧師)