知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。      コロサイ2章3節
 
孫氏の兵法にも通じるようなわかりやすい教えと、「これは、どのように考えたらよいのだろう」と考え込んでしまうような部分とが混ざり合っている箇所です。

神を計算に入れる
では、今日の箇所を通して、イエス様がわたしたちに教えようとしておられるその中心的なことは何なのでしょうか。それは、神を計算に入れるということです。わたしたちは、人生を建て上げて行くために、知恵深くある必要があります。計算する必要があります。けれども、それらのことを超えて、もっとたいせつなこと、それは、神を計算に入れるということです。

神を信頼できないわたしたちの罪
けれども、ここで問題になる、それは、神を計算に入れるというとき、それは、わたしたちの神様に対する信頼を前提としているということです。そして、わたしたちは、いつもいつも、神様に信頼を置いて、神様第一に歩むことができるかと言えば、そうではないということです。むしろ、神様に信頼を置くことをせず、自分の思いに従って、自分の欲に従って、与えられたものを自分勝手に用いようとしてしまう。それが、わたしたちであるということです。

キリストの十字架を見上げる
わたしたちは、自分自身さえ、正しく理解することができない存在なのです。自分の力で自らを治めることも、自分の力で願うことを実行することもできない存在なのです。そして、神様に信頼することができず、神様に対するまちがったイメージをもっている。それが、わたしたちの存在ということです。そのわたしたちのために、キリストがして下さったこと、それが、あの十字架のできごとでした。ですから、わたしたちにとって、神を計算に入れる。それは、すなわち、キリストの十字架に表された神の愛を見上げるということを意味しています。キリストの十字架に表された神の愛を計算に入れるということを意味しています。そして、知恵と言うとき、それは、キリストの十字架の愛を通して、自分自身を見る。そこに、神の知恵、キリストの知恵があるのです。

(前川隆一牧師)

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