気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。                    マルコ13章33節

 
「人の子が来る」「いちじくの木の教え」「目を覚ましていなさい」そう表題のつけられているところです。

子も知らない
今日の箇所、いくつか心に留めたいことがらがあります。それは、第一に、32節、「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」そう言われています。これは、イエス様は神ではないということかと言えば、そうではありません。そうではなく、イエス様が、人間として自分を限定されたことば、それがこのことばです。イエス様が示された父なる神様に対する信頼と、その父なる神様の前にけんそんであること、この二つのことは、非常にたいせつです。もっと言うなら、その二つの間の緊張関係の中で生きるということが、わたしたちにとってたいせつです。その緊張関係の中で生きる、そこに、いのちある信仰生活を生きる秘訣があるのです。

目を覚ましていなさい
もう一つのことは、「目を覚ましていなさい」ということが繰り返されています。それは、具体的に、また、実際的にどういうことなのでしょうか。35節で、四つの時間について、イエス様はおっしゃっています。これは、見張りの番をする人の交代の時間を意味しています。見張りの番をする人が、与えられた自分の時間、一生懸命番をしたように、与えられた所において、精一杯、目を覚ましていなさい。それが、イエス様がおっしゃったことなのです。もっと言うなら、その日、その時がいつ来てもよいように、備えをしておくようにということ。また、ほんとうに重要なことに目を注ぐ。こころを注ぐ。そんな風にも言い換えることができます。

わたしたちは神様に対する信頼と神様の前にけんそんであるという緊張関係の中で生きるようにと召されています。キリストの十字架の恵みに目を注ぎ、心を注いで歩むようにと召されています。それこそが、再臨を待ち望む心の姿勢なのです。

(前川隆一)

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