目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから。         詩編12編1~2節
 
有名な巡礼歌で、讃美歌21の155番のもとになる詩編でもあります。

同伴してくれる友
わたしたちの人生もまた、巡礼にたとえられます。そんな人生の巡礼の旅路の中で、わたしたちが必要としている。それは、励ましではないでしょうか。シオンに向かう巡礼者にとって、旅路をともにしてくれる巡礼者の存在が大きな励ましであったように、わたしたちも、人生という巡礼の旅路において、なくてならないもの、それは、同伴してくれる友の存在です。

天地を造られた主
とともに、なくてならない、それは、やはり、「わたしの助けは来る 天地を造られた主のもとから」とうたわれているように、神という存在です。そして、わたしたちが信じる神様、それは、まどろむことなく守って下さるお方(3)、行くにも帰るにも守って下さるお方(8)、そして、わたしたちの心、魂を守って下さるお方(7)ということです。

人称なき存在
さらに、同伴してくれる友、天地を造られた主とともに、わたしたちの人生を守り、励まし、導いてくれる第三の存在に心を向けたいと思います。1~2節を見ると、「わたしの」と一人称で語られています。それが、3節以降、一転、「あなたを」と二人称で語られています。では、3節以降、「あなた」と語りかけている、それは、だれなのか。それは、同伴してくれる信仰の友と考えることもできます。けれども、それは、「人称なき存在」、「聖霊」である、と取ることもできます。信仰の友ととともに神の前に出る。それが、礼拝のときです。そのとき、わたしたちのかたわらにあって、わたしたちの心を神様に向けさせ、神様の語りかけを聴くことができるようにわたしたちを整えて下さるお方、それが、聖霊であるということです。聖霊なるお方に励まされて、神様を見上げ、祈り合い、支え合いながら人生の巡礼の旅路を歩むようにと、わたしたちは招かれているのです。

(前川隆一牧師)