「与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」 ル カ 6章38節
イエス様のいわゆる平地の説教の最後の部分です。
四つの命令
37~38節までの箇所にスポットライトを当てて、今日の箇所を学びたいと思います。ここに、四つのことが勧められています。「人を裁くな」「人を罪人だと決めるな」、それは、心の中で、人を非難する、あら捜しをする、レッテルを張ることが戒められています。「赦しなさい」、それは、口先だけのゆるしではなく、赦し、解放するようにということが命じられています。「与えなさい」、それは、心配りを与える、もっと言うと、自分自身を隣人に与える、ということが命じられています。
その報い
そのように、イエス様は、四つのことを命じるとともに、それに対する報いがあるということを語っておられます。「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる」。これは、決して、人から報いを受けることができるということではありません。そうではなく、神様からの報いということが言われているのです(マタイによる福音書6章14~15節)。
二つの秤
さらに、38節の「そうすれば、あなたがたにも与えられる」の後のところには、「押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである」と記されています。これは、四つの命令すべてにかかる報いであるのです。神様は、実は、二つの量り、升を持っておられます。一つは、裁き、正義と公正という量り、もう一つは、憐れみと愛という量りです。裁く人に対しては、神様はそんなに正義と公正が好きならば、じゃあ、裁きの升目で量ってやろうと、量り返されます。それに対して、憐れみと愛の原理で生きる人に対しては、憐れみと愛の秤で量り返して下さるのです。
(前川隆一牧師)